
★至上の「心配り」に触れるとき
人は思いやり溢れる「心配り」に触れる時、その人のパワーを開花させることが出来るように思います。
今日は、私が受けた心に残る「心配り」を書きたいと思います。
私が、多くの人が集まる大きなイベントに、救護チームの一員として参加した時のことでした。
そのイベント開催の2週間前には、チーム参加者全員が事前ミーティングに参加することが必須だったのですが、私はその参加をすっかり忘れていたのです。
私は、イベントの前日に、以前に届いていたお知らせメールを確認して、驚愕しました。
当日の朝、私は気が重かった。
私は、そのミスを責められることを覚悟して出掛けたのです。
案の定、会場でチームリーダーさんが私の所にやってきました。
もう平謝りするしかないと思っていました。
そして開口一番
「秋山さんは、初めてのチーム参加でしたよね。
事前ミーティングに参加する必要があることを、再度、確認連絡をさせて頂くべきでした。至りませず、申し訳ありませんでした。」
私は、リーダーさんから謝罪を受けたのです。
私はビックリしてしまいました。
事前のミーティングに参加しなかった私が悪いのに、私を責めるどころか、再度確認しなかったことを謝られたのです。
確かに、再度のお知らせをすることは更にサーブではあります。しかし、そこまでなかなか現実的にできないものです。
失敗した相手を責めないという在り方は素晴らしい。
しかし、その謝罪の言葉がなぜそんなに素晴らしかったかというと、人は怒られたり、責められたりすると、申し訳なかった、悪かったという思いが残り、その後の仕事にまで影響が残ってしまいがちです。
しかし、私はそのリーダーさんのお言葉により、自分が悪かったという気持ちを引きずることなく、目の前の仕事に集中できたのです。
それどころか、ご迷惑をおかけした分頑張ろう!という気持ちになり、本領を発揮することができたのです。
私の心は晴れ晴れとしていました。
リーダーさんの言葉は、そこまでの配慮があったのです。
私はその心遣いに、シビレてしまいました。
そして、チーム皆の力を発揮させるリーダーシップを教わったように思ったのです。
sそれ以後、私は「至りませんが・・」という謙虚で美しい日本語が好きになりました。
人間は誰しも完璧ではない。失敗もする。
人間は至らない生き物なのである。
相手に対する心配りや気遣いには正解はありません。
けれど至上の「心配り」を思う時、私はあのリーダーさんを思い出すのです。
過去の失敗に囚われず、個々が本来持っている力を発揮できるよう、さりげなく配慮ができる人でありたいと、私は思うのです。
そしてそれはきっと、人が本来持っている治癒力を発揮させることに繋がると思うのです。
皆様、今日も健やかな1日でありますように。
感謝